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喝~かつ~

我々を導くありとあらゆる働きを持ったものそれが「喝」です。言葉で「かぁーーつ!」と表現されますが発言するだけが喝ではありません。何か過ちを犯したときそれを取り繕おうとしたことはありませんか?それを見た本当に近しい人の行動は様々であると思います。優しく諭す、厳しく叱責する、ただただ本人が謝るのを待つ、何も言わず立ち去る。その行いを見て大変なことをしてしまったと過ちを犯した人間が痛感したのならその全てが喝なのです。喝を入れるという言葉に惑わされてはいけません。何が大切なのかそれが分かれば喝とは何かが分かるのです。

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◆日時◆

10月4日(土)9月~15時半

5日(日)9時〜16時

◆場所◆

養徳院 書院 帯谷庵

◆御朱印◆

見開き

時時勤払拭~時々に勤めて払拭せよ~

身是菩提樹。

心如明鏡台。

時時勤拂拭。

勿使惹塵埃

身は是れ菩提樹

心は明鏡台の如し

時時に勤めて拂拭して

塵埃を惹かしむること勿れ

これは北宋禅の祖となる玉泉神秀が師匠の弘忍から悟りの境地を表現してみよという命を受けてしたためた詩です。常に心に積もる塵を払い続けよという意味合いです。まさに現代の我々に最も必要な言葉ではないでしょうか。我々の生きる現代はありとあらゆる便利にあふれています。その便利にかまけて人間力はどんどん低下する一方。当たり前に目の前にあるものが何とも有難いものだらけなのに、その有難さを当たり前だと感謝を忘れています。常に我々の中にある「我が儘」という塵あくたを払い続けなければなりません。


片面

平常心是道~びょうじょうしんこれどう~

へいじょうしんと一般的には読みますが我々禅宗ではびょうじょうしんと読みます。「当たり前の中に有難さが存在する」先日妻の実家の周りの一帯が落雷で停電しました。クーラーも冷蔵庫ももちろん動きません。京都の蒸し暑い夏の盛りの出来事ですからまあ辛いものです。我々が当たり前に付き合っているものがいかに有難いか再確認できる出来事でした。

悟りとは何か?その問いに南泉和尚は「平常心是道」と答えました。何気ない日常に悟りはあふれかえっている。それを見落としているのは我々なのです。日が昇り日が沈む、心地いい春に厳しい寒さの冬、新たな命が芽生えやがて年老いる、良いことと悪いこと。これを感じる心が我々にあるのは双方を知っているからです。良い時もあれば悪い時もある、苦しいこともあれば楽しいこともある。どちらかだけではこの当たり前にすら気付けません。様々な出来事が起こるこの世こそ有難い学びの場なのです。このことに心から感謝することが出来た時我々の心は本当の意味で晴れやかになるのです。

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9月の書置き御朱印は山と対峙する達磨さんの構図で参ります。一人どっしりと坐っている緋色の衣を纏った達磨さん。己と向き合い一人坐ることを「独坐」と言います。自分自身としっかりがっぷり四つで向き合いましょう。

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