2022年3月22日令和4年度春期彼岸会法要昨日は養徳院の春期彼岸会の法要を執り行いました。お参りいただける方には墓地にて諷経をさせていただき、御来院が叶わない方にはオンラインにて法要を執り行わせていただきました。1日も早い日常を心から願うと共に皆様のお心が穏やかであることを祈念いたしております。
昨日は養徳院の春期彼岸会の法要を執り行いました。お参りいただける方には墓地にて諷経をさせていただき、御来院が叶わない方にはオンラインにて法要を執り行わせていただきました。1日も早い日常を心から願うと共に皆様のお心が穏やかであることを祈念いたしております。
2021年9月27日令和3年度秋期彼岸会のご報告 五感とは本当に有難く、自身を養う素晴らしい感覚であります。実際に顔を合わせて、言葉を交わし、共にいる空気を感じる。多くの技術により会わずして顔や声を会わせることが可能な今ですが、何かが欠けていると思うのはそこにあるのではないでしょうか? 人と人が向き合うということは一長一短にはまいりません。面倒もたくさんありますが、その面倒を人の手が離れた機械に任せた結果、心を養うことを現代に生きる我々は精進しなくなっているのです。どのように優れた技術や道具であっても使い手の心ひとつで用途は大きく異なります。 かつてダイナマイトが戦争に使われ、人間の強欲にアルフレッド・ノーベルは深い悲しみを覚えました。新しい発明、技術を欲望のままに使っていませんか?僧侶である我々も胸に手を当ててみると思い当たる節があり反省しなければなりません。 今こそ様々な道具・技術を如何にして用いるのか、しっかり向き合っていくためにも心を養うことが大切であると彼岸会を通じて強く感じた次第でございます。皆様におかれましてもどうかお体を大切になさって、心を養う毎日をご精進下さいませ。
五感とは本当に有難く、自身を養う素晴らしい感覚であります。実際に顔を合わせて、言葉を交わし、共にいる空気を感じる。多くの技術により会わずして顔や声を会わせることが可能な今ですが、何かが欠けていると思うのはそこにあるのではないでしょうか? 人と人が向き合うということは一長一短にはまいりません。面倒もたくさんありますが、その面倒を人の手が離れた機械に任せた結果、心を養うことを現代に生きる我々は精進しなくなっているのです。どのように優れた技術や道具であっても使い手の心ひとつで用途は大きく異なります。 かつてダイナマイトが戦争に使われ、人間の強欲にアルフレッド・ノーベルは深い悲しみを覚えました。新しい発明、技術を欲望のままに使っていませんか?僧侶である我々も胸に手を当ててみると思い当たる節があり反省しなければなりません。 今こそ様々な道具・技術を如何にして用いるのか、しっかり向き合っていくためにも心を養うことが大切であると彼岸会を通じて強く感じた次第でございます。皆様におかれましてもどうかお体を大切になさって、心を養う毎日をご精進下さいませ。
2021年9月15日令和三年度養徳院秋期彼岸会法要のご案内 本年度の春季彼岸会は、檀信徒様の墓前にて諷経させていただく形と、ZOOM配信によるオンライン法要の二本立てで執り行いました。コロナ禍において感染予防の観点からお参りすることを自粛される方の中で、実際に法要に参加することが出来ない方の為にオンライン法要を取り入れました。 秋期彼岸会におきましてもこの形で執り行います。コロナ禍が続きそれぞれの方がコロナと向き合うことが増えた事と思います。我々禅宗では「あるがままの命を受け入れる」ことが大切です。人間は生まれて老いて死ぬものです。これは誰もが逃れることが出来ないことです。「死と向き合う、そしてどう生きるか考える、そして生きていく」私は禅宗の法要とはその気付きの場所であると思います。このことを一番に考え、時代や人に合わせて形が変わりゆくものであると思います。 大切なのは、あるがままを受け入れることが出来る心を養うことです。人生を歩めるのはその人自身、どうゆう結末が待っているかは分かりませんが、その選択は他人に決して委ねることは出来ません。 併せて今ある命があることもご先祖様がいなければあり得ないものであります。どうか今ある命を感謝してご先祖様に感謝するお彼岸を皆様お迎えください。
本年度の春季彼岸会は、檀信徒様の墓前にて諷経させていただく形と、ZOOM配信によるオンライン法要の二本立てで執り行いました。コロナ禍において感染予防の観点からお参りすることを自粛される方の中で、実際に法要に参加することが出来ない方の為にオンライン法要を取り入れました。 秋期彼岸会におきましてもこの形で執り行います。コロナ禍が続きそれぞれの方がコロナと向き合うことが増えた事と思います。我々禅宗では「あるがままの命を受け入れる」ことが大切です。人間は生まれて老いて死ぬものです。これは誰もが逃れることが出来ないことです。「死と向き合う、そしてどう生きるか考える、そして生きていく」私は禅宗の法要とはその気付きの場所であると思います。このことを一番に考え、時代や人に合わせて形が変わりゆくものであると思います。 大切なのは、あるがままを受け入れることが出来る心を養うことです。人生を歩めるのはその人自身、どうゆう結末が待っているかは分かりませんが、その選択は他人に決して委ねることは出来ません。 併せて今ある命があることもご先祖様がいなければあり得ないものであります。どうか今ある命を感謝してご先祖様に感謝するお彼岸を皆様お迎えください。