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桜の花も散り始め、若葉が燃える季節に入りました。五月の直書き御朱印授与日は5月5(金)6(土)7(日)です。ゴールデンウイークですので三日間授与日をとらせていただきました。


薫風自南来(薫風南より来る)・生微涼(微涼を生ず)


薫風自南来 殿閣生微涼 (薫風南より来る 殿閣微涼を生ず)

見開き、片面共にこの詩の一節から頂戴しました。

唐の文宗皇帝が、

「人は皆炎熱えんねつに苦しむ、我は夏日かじつの長き事を愛す」

と起承の句を作ったのを承うけて、詩人である柳公権が、転結の句を作って一篇の詩といたします。

薫風自南来 殿閣微涼を生ず

人々は夏の酷暑に苦しむが、夏の長きことを私は愛する。南から吹く涼やかな風に宮殿や楼閣の中は涼しさを感じることが出来るという意味です。俗っぽい言い回しになりますが仕事終わりのビールが心身を潤してくれる、そんな感覚や経験を皆様もされたことはありませんか?山道を黙々と歩き続け山頂を目指す道すがらは辛く厳しいですが、山頂の絶景を目の当たりにした時に疲れを忘れその景色に息をのむものです。自分が成すべきことを全うした時にその歩みを振り返ると何ともすがすがしい風景が広がっています。そんな思いを御朱印にいたしました。日々の営みに気付きあり、どんな些細な事にも気付きは必ず存在します。


  • 2023年3月31日

迷いや悩みを吹き飛ばす言葉を一転語といいます。それに触れることが出来たのがWBC決勝前に大谷選手が放った一言でした。「憧れるのをやめましょう」この言葉は力強く、弱い自分に喝を入れてくれる言葉でした。

「あんな人になりたい」「こんな人生を送りたい」そのような思いは誰しも持っています。持ってなくてはならないものでしょう。しかし自分と向き合うことを曇らせる考え方でもあると思います。あんな人や、こんな人生が他人の人生を見て言っていないでしょうか?私は私であって他人とは違います。他人と同じにはなれない、むしろ自分はどうなんだと向き合うべきなのです。

大谷選手は称賛するに値する大人物だと思います。野球選手を志す人なら、あの人と同じように二刀流で、またメジャーでも愛されたいものです。必死で練習して、手に肉刺を作って、怪我を克服して、努力を惜しまなければあの人と同じようになれる。果たしてそうでしょうか?

体力の限界、身体能力の差、自分ではどうしようもない壁にぶち当たり絶望するときが必ず来ます。大谷選手であってもそう、逃れることが出来ない定めです。生まれて、病やけがをして、老いて、死ぬこのことこそが皆平等であるからです。あの大谷選手でもこれからは逃れられないのです。

そのことを我々に改めて気付かせてくれる素晴らしい言葉「憧れるのをやめましょう」ではないでしょうか?行き詰った時これほど力強い言葉はありません。今まで頑張ってきたことは本当に無駄なのか?野球という世界で行き詰まったらそれで終わりでしょうか?人生は終わりません。そこで養った精神力、技術、体力は自由自在に新しい世界でも活用できるはずです。我々の生活でもそう、今行き詰っている時は抱え込んでいるものからいらない憧れを捨てて自分が確かに持っている鍛えられた心を頼りに生きていくことが大切です。

砂金を採取するときは多くの砂泥を水で洗い流し、重みのある金が最後に残ります。私たちの中にある砂金は何なのか?日々を精進していきましょう。WBCに心を震わせたように人生に心を震わせましょう。


いよいよ日中の日差しが暖かくなって参りました。4月の直書き御朱印授与日は1日(土)2日(日)です。散策するのにも良い季節、お時間がございましたらお越しください。


看白象忍辱(見よ白象の忍辱)

このようなお話があります。

「ある国の王妃が、六牙の白象の夢を見た。王妃は、その象牙をぜひ自分のものにしたいと思い、王にその牙を手に入れたいと願った。

王妃を愛する王は、この無理な願いを退けることができず、このような象を知る者があれば届け出よ、と賞金をつけて国中に触れを出した。

その象はあるときひとりの猟師を危難から救ってやった。ようやく国へ帰ることのできたこの猟師は、この触れを見、賞金に眼がくらみ、恩を忘れて、六牙の象を殺そうと山へ向い毒矢を象に放った。

激しい毒矢に射られて死期の近いことを知った象は、猟師の罪をとがめようともせずに、かえってその煩悩の過ちを哀れみ、猟師をその四つの足の間に入れて、報復しようとする大勢の仲間の象から守り、さらに、猟師がこの危険をおかすに至ったわけを尋ねて、彼が六つの牙を求めるためであることを知り、自ら牙を大木に打ちつけて折り、彼にこれを与えた。

象は、「この布施行によって仏道修行を成就した。わたしは仏の国に生まれるであろう。やがて仏と成ったら、まず、あなたの心の中にある貪り・瞋り・愚かさという三つの毒矢を抜き去るであろう。」と誓った。」

深い慈しみの心です、中々真似できることではありません。ですが我々の自分勝手な見解で他を縛るような考え方を捨て、俯瞰して物事を見定める心を養えば少しは六牙の白象に近づくことが出来るのではないでしょうか。耐え忍ぶ心が大切です。


逢花打花(花に逢えば花をたす) 「花に逢えば花を打(た)し、月に逢えば月を打(た)す」という言葉がございます。打すとは向き合うという意味です。「花より団子」花見に来たつもりが気が付けば酒と肴に執心しておりませんか?楽しい花見ではもしかするとそのような姿こそが花見と向き合って一つになっているのかもしれません。

花や月を眺めて愛でるのならばとことん向き合って愛でるべきであるというこの言葉、愚直なまでの向き合う姿勢が大切です。坐禅をする時に「静かで厳かな雰囲気のお寺が一番集中できます。」とおっしゃってくれる方がおられます。準備をして迎え入れる我々に嬉しい一言ですが、本来坐禅をするのに最適な場所などありません。自分が坐りたいを思えばそこが坐る場所なのです。例え工事の音や騒音が取り巻く環境であっても思えばそこが坐る場所なのです。

型や作法に込められた心に触れることも「花逢花打」の一つなのです。



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